THERE HERE-あっちこっち-
各務原市図書館
GIFU , JAPAN
2013.October
出会いと別れを繰り返す。
思いは左右に、時には上下に揺れ動き、また戻る。
それは時には渡り鳥の様に本能的に、時には落ち葉が舞い上がる様に自由に美しく儚い。
家に帰ると、そこには光があり、安息がある。
自分の空間と言うのは、どんな遊園地よりもエキサイティングで、
秘密のエデンよりもサンクチュアリだ。
かのシェイクスピアが「狂ったこの世で狂うなら気は確かだ」と言う様に、
この世界は確かに歪んでいる。
でもそれが普通で正常だ。
それは今に始まったことではなく、常にスパイラルし、絡み合っている。
しかも歪みが慢性的な物ではなく、一時的な物の連続で、
世界をあらゆる形に速く変化させている。
しかし、世界は歪み続けようが、形を変化させ続けようが、
人の感じる安息の時間、空間はいつの時代でもほぼ変わらない。
いつもの朝のコーヒーの時間や草木の水やり、大切な人との語らいなど
深呼吸の様なベーシックな形で、
さらに、そこまで大きく無い空間で形成されているはずだ。
ボクには本当の意味で最後に帰る故郷はなく、生家ももうない。
だから家に対して何かを感じているかも知れない。
憧れでもなければ、羨みや負い目でもあるはずがない。
しかし形がそこに存在しなくても、決して無くならない物がある事をボクは知っている。
窓やドア、灯りや机は、人間独特の家の形。
そこが特に好きな気がする。
雨風だけを凌ぐ場所ではない、自分達の空間。
歪んだ世界で生きて行く為の安息の形。
あっちやこっちに、色んなモノが流れて戻っても、そこにはいつもある。
おかえりと言ってくれる人や物たちがある。
ただいまと言える自分もいる。
それが恒久的な安息の近道であると信じている。