ina takayuki

THERE HERE-あっちこっち-

出会いと別れを繰り返す。

思いは左右に、時には上下に揺れ動き、また戻る。
それは時には渡り鳥の様に本能的に、時には落ち葉が舞い上がる様に自由に美しく儚い。

家に帰ると、そこには光があり、安息がある。
自分の空間と言うのは、どんな遊園地よりもエキサイティングで、
秘密のエデンよりもサンクチュアリだ。

かのシェイクスピアが「狂ったこの世で狂うなら気は確かだ」と言う様に、
この世界は確かに歪んでいる。
でもそれが普通で正常だ。
それは今に始まったことではなく、常にスパイラルし、絡み合っている。
しかも歪みが慢性的な物ではなく、一時的な物の連続で、
世界をあらゆる形に速く変化させている。

しかし、世界は歪み続けようが、形を変化させ続けようが、
人の感じる安息の時間、空間はいつの時代でもほぼ変わらない。
いつもの朝のコーヒーの時間や草木の水やり、大切な人との語らいなど
深呼吸の様なベーシックな形で、
さらに、そこまで大きく無い空間で形成されているはずだ。

ボクには本当の意味で最後に帰る故郷はなく、生家ももうない。
だから家に対して何かを感じているかも知れない。
憧れでもなければ、羨みや負い目でもあるはずがない。

しかし形がそこに存在しなくても、決して無くならない物がある事をボクは知っている。

窓やドア、灯りや机は、人間独特の家の形。
そこが特に好きな気がする。
雨風だけを凌ぐ場所ではない、自分達の空間。

歪んだ世界で生きて行く為の安息の形。

あっちやこっちに、色んなモノが流れて戻っても、そこにはいつもある。

おかえりと言ってくれる人や物たちがある。
ただいまと言える自分もいる。

それが恒久的な安息の近道であると信じている。